17 「光陰矢のごとし」を痛感するこの頃ですが、昭和38年9月に創立された関西ウォータークラブも、今秋めでたく30周年を迎えることとなりました。会員数も設立当初に比べ4倍近くとなり、クラブの活動は関西水道界の一翼を担うように成長してまいりました。それだけに関西ウォータークラブの水道界に果たしてきた足跡も大きかったものと思います。 昭和38年9月に創立された関西ウォータークラブは、平成25年秋に50周年の節目を迎えた。第1章では、創立時に専務理事を務めた河添佑之助・水道産業新聞社長が、同クラブ30周年を記念して水道産業新聞に寄稿した原稿を再現させていただいた。 関西ウォータークラブが生まれたいきさつは、まことに自然発生的なものでした。当時は戦後の混乱から立ち上がった日本が、これから本格的な公共事業や産業に取り組もうという時代だったので、水道界も大いに張り切っておりました。それでもまだ高度経済成長の時代ではなかったので、世の中はわりにのんびりしていたように思います。 私が経営していた水道産業新聞社も、当時はまだ西区の堀江にある戦災ビルにありました。私も若かったので、いろいろな企画を次々と打ち出し、その中には新聞社の事業として写真撮影会、ゴルフ会、囲碁大会や旅行会などの諸事業も活発にやっていました。今のように世の中が多様化していなかった時代ですから、どの会も盛況でした。中でもゴルフ大会は参加者も多く、例会をもって定期的にコンペをするようになりました。 そのうちに参加者の間から「ゴルフに集まるだけでなく、もっと幅広く親睦を関西ウォータークラブKWC創立から30周年まで昭和38年(1963)~平成5年(1993)誕生のいきさつ50年の 官民一体の組織「関西ウォータークラブ」を創ろうあゆみ関西ウォータークラブ初代専務理事水道産業新聞社創業社長 河添佑之助
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